音読授業を創る そのA面とB面と   05・10・12記

       
  
    
重点化してほしい指導事項
  
   (ウェブサイトで群読・朗読を聞いた感想)




  最近、ウェブサイトで、児童生徒たちの群読や朗読の読み声をメディア
・プレイヤーなどで耳にすることができます。子どもたちは嬉々として、楽
しそうに声に出して表現している教室の様子が読み声から聞こえてきます。
これは、とてもすばらしいことです。たいへんにうれしいことです。

  これら読み声を耳にして、すばらしいことはたくさんあるのですが、気
になったこともありましたので、ここでちょっと気になったことについての
感想を書きたいと思います。

  三つのことを書きます。



  
   ●一つめに気になったこと●

《変な・おかしな読み癖、独特な調子の読み癖、変なリズム
 やメロデー、変な上がり下がりのある読み癖・読み調子が
あること。》



  
文末が、「でーす。ですー。」や、「まーした。ましたー。」というよ
うな、文末で変に上昇したり・下降したり・伸びたりの妙な読み調子です。
  文末だけの読み癖だけではありません。文の途中途中でも変な強弱リズ
ムや、変な上がり下がりのメロデーがついた妙な読み癖がたくさん、ごく普
通にみられたことです。子どもたちの音声表現が立派なのに、この妙な読み
癖があって、音読全体が貧弱な音声表現になってしまっており、とても残念
だなあ思いました。
   わたしのホームページで、音声表現指導でいの一番に指導すべきことと
して、その指導事項として、「変な読み癖をなくす」を真っ先に挙げていま
す。これに関連して「ニュース読み」とか「折り目正しく読む」とか「ス
タッカートよみ」とかについても書いてあります。これらは、すべて「変な
読み癖や妙な読み調子」を直すための指導なのです。
  幾度となく繰り返してこのことを指摘して書いてあるのも、中立的読み
方というか中性的読み方というか、フッサールは「臆見的定立と心情・意志
定立」とを括弧でくくった、宙に浮かした価値中立の世界を中立変様(『イ
デーン1−2』)と書いていますが、情感づけた・情感たっぷりの音声表現
指導以前の、淡々とした・癖のない・折り目正しい読み方、中立的・中性的
な読み方、これが音読指導で、まず最初に指導(矯正)すべき重要な指導内
容なのだということを理解していただきたいと思います。
  それを、私は小学校一年生にも分かるように誤解があることをを恐れず
大胆に、分かりやすさから「ニュース読みをまねる」と言っているのです。
そして、変な読み癖・読み調子を矯正する方法の一つとして「スタッカート
読みもしてみよう」などと提案しているのです。肝要なことは「読み癖のな
い、折り目正しい読み方」なのです。つまり変な読み癖の多くある「朗読」
でなく、折り目正しい読み方の「表現よみ」の音声表現の仕方で音読させよ
うということです。



      
●二つめに気になったこと●

 
《児童生徒たちの発音・発声が悪い、歯切れが悪い、
  アーテキュレーションがよくない、ということ。》



  口の開け方が狭くて、はぎれが悪い発音が多いということです。しっか
りした口形でなく、のどが開いてなく、おもいきり声が外にドーンと出てい
ないということです。声が口の中だけ、口の手前だけでもぞもぞと小さく発
声・発音しているということです。声を出して読んでいる児童生徒たちに、
はぎれよく発音しようとしている意識が全くないようだ、ということです。
とても残念なことです。
  音声表現に自信がなくて、それが原因で、発音・発声が奥に引っ込んで
いるのではないようです。それが証拠に児童生徒たちは、屈託なく、楽しそ
うに、気楽な雰囲気で、伸び伸びと読んでいる感じが教室の雰囲気や読み声
から聞き取れます。気楽に、伸び伸びと、楽しそうに音声表現することは、
とっても大事なことです。とってもすばらしいことです。
  けど、それに、歯切れよい発声に気をつかって読んだら、さらに一層よ
くなるのに、と思います。
  遠くにいる人に声を届けるようにして声を前へ・先の方へドーンと出し
て読めば、もっとはぎれよくなり、さらによい音声表現になるのに、と思い
ます。
  子どもたちの読み声(音声)が前へドーンと出ていない、口の前で停
まって淀んでいる、つまり、はぎれが悪いというこの事実は、小学生はそれ
ほどではありませんが、中学生の男子にはほんとに多くみられます。中学生
の男子は全員といっていいくらいです。高校生の男子もおなじことが言えま
す。中高校生の男子で立派な発声・発音で読んでいる生徒は、わたしがウェ
ブサイトで耳にした群読、朗読では皆無と言ってもいいくらいです。
  中高校生の男子は、変声期が経過して声が太く、低くなり、音域がバス
になったというマイナス要因はあります。しかし、これは理由になりませ
ん。中学生や高校生の男子だって、指導すれば、すばらしく歯切れよい声に
なるのです。遠くまで届く、一つ一つの音(おん)のはぎれよい発音ができ
るのに、です。

  音楽の時間には、音楽教師は発音・発声の指導をします。今、この原稿
を書いているとき、NHK教育テレビでは第77回・全国学校音楽コンクー
ルが放映されています。合唱日本一を競う全国小・中・高の地方予選で勝ち
あがった代表校の本選コンクールをやっています。
  わたしはその映像をちらちらと視聴しながらパソコンに向かって、この
原稿を書いています。各ブロック代表のステージ合唱発表前に各校の学校紹
介や練習風景のテロップが一分間ほど流れます。そこでは、例えば、ア・ア
・ア・ア……と言いながらお腹に手を当てて、お腹を急に膨らませ、急に
へこませたりの練習風景、または、遠く離れている友だちに声を届ける1対
1のトレーニング練習風景、アア・イイ・ウウ……の発音や音程練習風景な
ど、呼吸や発声や発音の練習風景そして合唱曲のパート練習風景などの映像
が流れています。
  また本番のステージ合唱発表で児童生徒たちの身体表情の映像を見る
に、下顎を思いきり下げて、外れるのではないかと思われるほど下方へぐっ
と下げてア列の音を出して歌っています。イ列の音を発音するときは、口唇
を思いきり両頬に近づけ、横に引っ張った顔面をして歌っています。ウ列の
音を発音するときは、口唇を思いきり前方へ突き出して歌っています。エ
列、オ列は、もう書くのはよしましょう。
  顔面の表情を見るに、ほんとに豊かです。両頬は上がり、右目と左目と
の間隔は狭くなって両目はまん丸になったり、ひたいは上に、横に拡張して
広くなったり、あるいは狭くなったり、こうして顔面内の口腔に最大限の共
鳴腔を作って、最大限に響きのある、よい頭声を作って、歌おうとしている
真剣な顔面表情がテレビ映像に映し出されています。
  こうした顔面表情が、音楽科の歌唱指導におけるごく普通の、正常な呼
吸・発声・発音の仕方や歌唱指導の方法なのかは、わたしは知りません。テ
レビ映像を見ていると、この顔面表情の作り方は、各学校によってまちまち
です。顔面表情が極端な学校もあれば、そんなでもない学校もあります。
  この音楽科の顔面表情が、国語科における音読・表現よみのときの発声・
発音の顔面表情と同じだとは言えないと、わたしは思います。音読・表現よ
みでは、もっと自然な顔面表情、無理のない発声・発音の顔面表情でよいと
思います。不自然な顔面表情を作ることは全然ないと思います。
  しかし、国語科の授業では、発音・発声・呼吸の指導が音楽科ほど重要
視して指導されていないことは事実です。いや、皆無といっていいぐらいで
はないでしょうか。文章の音読・表現よみ・群読の指導の中では、発声・発
音・呼吸の指導は全く指導されてないといっていいほどだと言えるでしょう。
ここに大きな問題があるのです。
  現行学習指導要領(02年版)は、週休五日制やゆとり学習で、学習内
容はそぎ落とせるだけそぎ落として「学力低下をおこしている」と世評の悪
評ぷんぷんですが、そして、国語科の音読・朗読指導の記述内容も少なくな
ってしまっていますが、それでも発声・発音の指導についてはちゃんと書か
れてあります。

参考までに、ここに関係するところだけ抜き書きしましょう。

小学校学習指導要領(H10)・国語科
第一学年及び第二学年
<言語事項>
ア 発音・発声に関する事項
  (ア)姿勢、口形などに注意して、はっきりした発音で話すこと。

中学校学習指導要領(H10)・国語科
<言語事項>
ア話す速度や音量、言葉の調子や間のとり方などに注意すること。

高等学校学習指導要領(H11)・国語科
国語表現1
3、内容の取り扱い
(2)発声の仕方、話す速度、文章の形式なども扱うようにする。



  
  ●三つめに気になったこと●

《児童生徒たちの読み声を聞いていると、作品の内在的意味
(ポドテキスト)を、一貫した、決意的な固い思いで最後ま
で音声にのせて表現しようとしている意識の力(パワー)が
弱い、ということ。》



  
児童生徒たちの音声表現を聞いていると、作品内容がもつ情緒・雰囲気
という状態感情を一貫して終始、音声の堅牢な芯として表出しようとする意
識が弱い、と思います。こう読もうという思いの終始一貫した音声の堅い芯
が読み声から聞き取れない、ということです。この作品を終始このような雰
囲気や情緒を帯びた音声表情で表現しようとする固く決意した思いで読もう
としている意識がみられないか、弱い、ということです。
  スタニスラフスキーは「超課題と一貫した行動とは、作品そのものから
有機的に生じてくる。それを毀す者は作品を殺すことになる」(『俳優の仕
事』千田是也訳、理論社)と書いています。
  超課題とは、「作者の思想や感情、その夢や悩みや喜びを舞台に翻訳す
るのが、上演の主要な課題なのだ。すべての課題がそこに統一され、心的生
活のさまざまな起動力の創造的な志向や、俳優=役という統一体の内的状態
のすべての要素がそこへ向かっていく。この基本的・包括的な目標のこと
だ」(前掲書)と書いています。つまり、超課題とは、俳優が役を演じよう
とするとき、内的状態感情を作っていく、すべてがそこへ向かっていく、終
始、一貫した行動目標となる中核となるある種の感情・情緒的な観念・思い
のことです。

  国語科授業の読解指導で、教師と児童生徒たちは作品内容や作品世界に
ついて語り合います。各児童生徒たちの想像から湧き出てくる生きられたイ
メージ世界が創造されてきます。つまり、作品には内在的意味(ポドテキス
ト)とある種の状態感情と全的にかもしだす情緒的雰囲気があります。それ
が表象化され、そして感情喚起されることによって、感情まるごと身体に響
き、生動化された内的体験として超課題も同時に湧出されてきます。これが
情感性豊かな音声表現のエネルギーの源泉となるのです。
  児童生徒たちは作品について教室で語り合ううちにその作品世界の内部
に拉致され、箱詰めにされ、そこに身を沈め、とりにされます。そして、
その創造世界を、音声表現しようとすると、ここの文章個所を、こういうふ
うに読みたい・情感づけたい、情緒的雰囲気にして読みたいという、スタニ
スラフスキーのいう「一貫した思い」(超課題)を持つようになります。
  この「一貫した思い」(超課題)は、読み手の内的感情を呼びさまし、
鼓舞し、内的感情を作る原動力・起動力となります。音読指導では、この
「一貫した思い」(超課題)を意識的に取り出して、話し合う指導はとても
重要です。
  ここの文章個所をこう読みたいと事前に全員で話し合うのも一つの方法
でしょうし、指名児童に読む直前にこう読みたいという思い・決意を語らせ
るのも一つの方法でしょうし、文章の行間に全員で記号づけして語り合うも
一つの方法でしょう。
  こうした「一貫した思い」(超課題)をはっきりと意識化させる指導・
読み手に能動的な内的指向への思いを持たせる指導はとても重要です。この
「一貫した思い」(超課題)が、読み手の身体に響くと、それは、かれの大
動脈の血流となって、鼓動となって、こうして血肉化さた音声表現となって
表出され出てきます。これが実際の音声表現のリズムやテンポや強弱や遅速
や明暗や抑揚の変化となって情感性(めりはり)となって表出されてること
になります。


           
 まとめ


  以上、三つ(「変な読み癖」「はぎれよい発音・発声」「超課題の一貫
性」)のことについて書いてきました。
 この三つは、国語科における音読・表現よみ・群読の指導や話し言葉の指導、
話し聞き指導や話し合い指導、そして発表やデベートなども含めて広く音声
言語の表現指導では、いの一番に重要な基礎基本となる必須の指導事項であ
ることは申すまでもありません。最近、コメント力育てが力説されています
が、コメントの基礎基本も呼吸・発声・発音の指導なのです。これが駄目で
はコメントなどできようがありません。
 これら基礎基本ができていないのでは、これらが駄目では、素敵な群読・
表現よみをしようとしても、結果として総体的に無残な群読発表、朗読発表に
なってしまいます。教師たちの熱心な指導にもかかわらず、これらが原因で、
その音声表現の結果が貧弱になってしまっていることは、とても残念なこと
です。 


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