読授業を創る  そのA面とB面と    07・5・02記




  詩「春に」の音読授業をデザインする




●詩「春に」(谷川俊太郎)の掲載教科書……………………………大書6下




            春に
                谷川俊太郎

        この気もちはなんだろう
        目に見えないエネルギーの流れが
        大地からあしのうらを伝わって
        ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
        声にならないさけびとなってこみあげる
        この気もちはなんだろう
        枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
        よろこびだ しかしかなしみでもある
        いらだちだ しかもやすらぎがある
        あこがれだ そしていかりがかくれている
        心のダムにせきとめられ
        よどみ渦まきせめぎあい
        いまあふれようとする
        この気もちはなんだろう
        あの空の青に手をひたしたい
        まだ会ったことのないすべての人と
        会ってみたい話してみたい
        あしたとあさってが一度にくるといい
        ぼくはもどかしい
        地平線のかなたへと歩きつづけたい
        そのくせこの草の上でじっとしていたい
        大声でだれかを呼びたい
        そのくせひとりで黙っていたい
        この気もちはなんだろう




             
教材分析


    「この気もちはなんだろう」が4回、繰り返されています。この繰
り返しが散文になりがちなところを抑えて、この詩にいっそうの詩的表現を
構成する要素を与えてると言えます。また、「この気もちはなんだろう」が
4回も繰り返されていることは、この詩にはそれだけ重要な詩句であるとい
う証拠でもありましょう。
  子ども達がこの詩の解釈深めをしていくときの導入として「この気もち
はなんだろう」の問いかけ文を取上げて、ここから話し合いを開始していっ
たらどうでしょう。
  「この気もちはなんだろう」の「この気もち」とは、どんな気もちのこ
となんでしょうか。その答えを、この詩「春に」の一連の詩句の連なりの中
から児童達に探させましょう。その解答は、「春に」の詩句の中から容易に
指摘できるでしょう。そして、その児童達の発表を、教師が板書していきま
しょう。「この気持ちとは何か」について、一連の板書事項から分かってく
ることがあるでしょう。それを学級全員で話し合っていくようにします。
  「この気もちはなんだろう」の「なんだろう」についても話し合いま
しょう。自分自身でも分かっていない、不確かな心のうずき、なんとはなし
の気分として感じられてくる心の動きや衝動、「目に見えないエネルギーの
流れ」、ちょっぴりふくらんだ新芽のような声にならない微かな心の叫び、
そうしたものが自分自身の心の中に何とはなしに感じ取られる。だが、「こ
れは、こうだ」という論拠、その正体がはっきりとはしない。だから、「な
んだろう」と書き、「ぼくは、もどかしい」と書いています。そうした「ぼ
く」の茫漠とした気分・気持ちが、こうした表現になっていることを分から
せましょう。
  詩「春に」は、6年生下巻の教科書に掲載されている教材です。読者
は、もうすぐ中学生になろうとしている子ども達です。年齢発達的に大人の
世界へ第一歩を踏み出し始めている年頃です。この詩は、そうした同年代の
思春期の子ども達の心理感情状態を表現している詩だと言えます。
  思春期は、社会的自立への大事な準備期です。子ども達は、子どもの自
分の中にもう一人の自分がいると感じる時期です。自我が拡張し、自分自身
に目を向けはじめ、親離れがはじまり、これまでとは違った価値観が身につ
くようになります。親たちは、大人の都合によって子ども扱いにしたり、大
人扱いにしたりします。二つ、三つの価値観が押し付けられたり、子ども自
身が二つ、三つの価値観の葛藤に悩んだり、こうしたダブルスタンダードの
中で行動しなければならなくなります。
  この詩を読む子ども達は、自分自身の気持ちと重ならせて、現在の自分
自身の心のありようと重ならせて読んでいくことでしょう。現在の自分自身
の心と比べながら、「自分にも同じ気持ちがある、分かる分かる」と同感し
ながら読んでいく子どもがたくさんいるのではないでしょうか。「いや、自
分自身には、こんな気持ちは現在のところはないよ。ぼくには、わたしに
は、この詩の、この気持ちは分からんなあ、ぴんとこないなあ。」という子
ども達もいることでしょう。子ども達の発達段階に個人差がありますから当
然でしょう。強弱の差異はあっても、同年齢ですからなんとはなしに分かる
のでは、と思います。
  いずれにせよ、読者である6年生の子ども達は、この詩の語り手(話
者)と自分自身の心理感情を重ね合わせて、自分自身のこととして作品世界
を読んでいくことでしょう。
  この詩は、大人の世界への第一歩をふみだし始めた成長発達段階、思春
期の子ども達の心理感情状態を表現している詩です。喜びと同時に悲しみ、
いらだちと同時にやすらぎ、あこがれと同時にいかり、そうした相反するい
ろいろな感情がごちゃまぜに混ざり合っている、そうした中で一歩一歩と成
長発達している思春期の子ども達の内面世界や心理感情状態を詩的表現であ
らわしています。将来への明るい展望や期待がある一方、将来への不安感や
焦燥感や気案じ感もある、そうした「よどみうずまき、せめぎあう世界」で
ある複雑な彼等の内面世界を表現している詩だと言えます。 


           
音声表現のしかた 


  この詩の語り手(話者)は、一人称人物「ぼく」です。「ぼく」の気持
ちになって、「ぼく」の気持ちになったつもりで音声表現していくとうまく
いくでしょう。
  「ぼく」は、読者である6年生と同じ心理感情状態か、近接した心理状
態か、です。子ども達は「ぼく」の気持ちと一体になって、一体となろうと
して音声表現していくことでしょう。「ぼく」に同化して音声表現していく
指導を心がけていきましょう。
  この詩は、「ぼく」の心理感情状態を吐露しています。「ぼく」の不確
かではあるが、なんとはなしにうずきあがってくる心の中の揺れ動きと複雑
な気持ち、その内面世界をコトバ化して表現しています。
  この詩は、「ぼく」の内言です。心内語です。独白です。告白です。ひ
とり言です。音声表現するときは、不確かな、ぼんやりした思春期の心の中
のうずき、エネルギーの流れみたいな心の中のうずき、それをコトバ化し
て、コトバですくって、コトバで引き上げて、コトバの入れ物に入れて、な
んとはなしにこういう気持ちがある、こんな気持ちもある、あんな気持ちも
ある、と述べたてています。そうしたコトバをつむぎだして述べたてている
音調で音声表現していくようにしましょう。

  四つの「この気もちはなんだろう」の繰り返しは、語頭で転調して読み
出していきましょう。明るく起こして、明るく立てて、気分を変えて、明る
い声調にして読み出していきましょう。
  「この気もちはなんだろう」の「なんだろう」は、自問している言い方
です。つづく次の詩句から、こんな気持ちだ、こんな気持ちもある、と自答
していってます。「なんだろう」は、自分自身に問いかけているように、自
分自身に質問しているような音調で音声表現していきます。

  こんな気持ちだ、こんな気持ちだ、と自分で答えを出している文章個所
は、ひとつながりの意味内容に気をつけて音声表現していきましょう。
「目に見えないエネルギーの流れが/ 大地から/ あしのうらを伝わって//
 ぼくの腹へ/ 胸へ/ そうしてのどへ/ 声にならないさけびとなって/ 
こみあげる/// 」は、途中で小さく区切りつつも、全体としてはひとつな
がりの息づかいにして読まなければなりません。

「枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく」は、意味内容ではここの文末でひ
とまず終了しています。この文末で終了する息づかいで音声表現しましょ
う。

「よろこびだ// しかし/ かなしみもある/// 」
「いらだちだ// しかも/ やすらぎがある/// 」
「あこがれだ// そして/ いかりがかくれている/// 」
  これら3行は、それぞれの三行はひとつながりとして終了しています。
が、レトリック(修辞技法)としては対句表現になっていて、それぞれが並
置して対応・照応するように、ひとつにまとまるように、そんな気持ちをも
込めて音声表現していかなければなりません。

  ですから、この詩全体を音声表現する事前指導としては、「どのつなが
りはひとつながりになっているか、どこをつなげ、どこで終了する息づかい
にするか」を話し合っておく必要があります。どの行と、どの行はつながっ
ているか、どの行で終了する息づかいで(言い納める息づかいで)音声表現
するか、こうした区切りをはっきりさせてから音声表現の練習をしていくよ
うにします。小さく区切って読んでいってもよいが、終了の息づかいはきち
んと言い納める音声表現にすることが大切です。

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