音読授業を創る  そのA面とB面と      03・11・30記




 「ごんぎつね」の音読授業をデザインする




●「ごんぎつね」(新美南吉)の掲載教科書…東書4下、教出4下、大書4
                  下、光村4下、日書4下、学図4下



         
国語教科書の長期掲載教材


  「ごんぎつね」が国語教科書に最初に取りあげられたのは、1956年
(昭和31)の大日本版『国語4−1』だそうです。1977年(昭和5
2)には、光村、教出、日書、東書の四社が取りあげています。1989年
(平成元)からはすべての小学校国語教科書(六社)で「ごんぎつね」が取
りあげています。現在(2003、平15)で、47年間の長期掲載記録を
保っています。現在57歳以下の日本国民のかなりの人数(大多数といって
よいほど)が小学校時代に「ごんぎつね」を学習してきていることになりま
す。
  「ごんぎつね」は、新美南吉によって1931年(昭和6年)、18歳
のときに書かれました。南吉が旧制中学校を卒業して故郷の尋常小学校の代
用教員をしているときでした。自分の生徒たちに「ごんぎつね」を語って聞
かせたそうです。翌年「赤い鳥]1月号に掲載され、世に出ました。「赤い
鳥」に掲載された「権狐」の原稿は鈴木三重吉によって手を入れられ、現在
の姿になったといわれています。二つを比較してみるとかなりの違いがあり
ます。
  次に、南吉原稿「権狐」の冒頭部分を書き抜いてみましょう。
  
むかし、徳川様が世をお治めになっていられた頃に、中山に小さなお城
があって、中山様と云うお殿様が、少しの家来と住んでいられました。
  その頃、中山から少し離れた山の中に、権狐と云う狐がいました。権狐
は一人ぼっちの小さな狐で、いささぎの一ぱい繁った所に、洞を作って、そ
の中に住んでいました。そして、夜でも昼でも、洞を出て来て悪戯ばかりし
ました。畑へ行って、芋を掘ったり、菜種殻に火をつけたり、百姓家の背に
つる(吊)してある唐辛子をとって来たりしました。
  それは或秋のことでした。二三日雨が降りつづいて、権狐は、外へ出た
くてたまらないのをがまん(我慢)していました。雨があがると、権狐はす
ぐ洞を出ました空はからっと晴れていて、百舌鳥の声がけたたましくひびい
ていました。 (以下省略)



        
「地の文」の読み方(1)


  地の文において、語り手はどんな語り方をしているかをみてみましょ
う。
 〔1〕の冒頭部分は、荒木の「地の文」の種類分けでは「語り手が直接に
語り聞かせている地の文」となっています。冒頭文「これは、わたしが小さ
いときに、村の茂平というおじいさんから聞いたお話です。昔は、わたした
ちの村の近くの中山という所に……」とあり、語り手「わたし」が農家のい
ろり、縁側で子ども達に向って直接に語り聞かせている語り方文体です。で
すから、読み手は子ども達とその場に居合わせて「昔、ごんぎつねというい
たずらきつねがいて、こんないたずらばかりしていたんだよ」と語って聞か
せる語り口で音声表現するとよいでしょう。

  「ある秋のことでした。二三日雨がふり続いたその間……」から、語り
手はごんのある日、ある時の事柄(出来事)の説明を始めています。ここの
文章個所は、ごんの出来事(行動)を客観的に対象化して淡々と説明するよ
うに音声表現していくとよいでしょう。

  次に「雨が上がると、ごんは、ほっとしてあなからはい出ました。空は
からっと晴れていて、もずの声がキンキンひびいていました。」とありま
す。ここからは、語り手はごんの目や気持ちによりそって、付かず離れずの
スタンスで語り始めていきます。ごんの出来事(事柄)を客観的に対象化し
て説明しているようでありながら、同時に「ほっとして」とか「からっと晴
れていて、キンキンひびく」とか、ごんの主体的な気持ちに入り込んでその
有様が書かれており、ごんの目や気持ちになっても語られています。

  次の「辺りのすすきのほには、まだ雨のしずくが光っていました。川
は、いつもは水が少ないのですが、三日もの雨で、水がどっとましていまし
た。ただのときは水につかることのない川べりのすすきや……」からあと
は、ごんの視線で、ごんの目に見えた事態を描写し、ごんの気持ちをとおし
た描写の地の文になっています。

  こうして「三人称の登場人物、ごんの目や気持ちによりそった地の文」
は、〔1〕のここらあたりから〔2〕→〔3〕→〔4〕→〔5〕へと続きま
す。これら全ての地の文はごんの目や気持ちによりそって、ごんに付かず離
れずの気持ちで音声表現していくことになります。
  〔6〕の初めの文章部分は、こうです。

(一段落) その明くる日も、ごんは、くりを持って、兵十のうちへ出かけ
   ました。兵十は、物置でなわをなっていました。それで、ごんは、う
   ちのうら口から、こっそり中へ入りました。
(二段落) そのとき兵十は、ふと顔を上げました。と、きつねがうちの中
   へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎをぬすみやがったあの
   ごんぎつねめが、またいたずらをしに来たな。

 (一段落)個所は、この部分だけを読めば、語り手はごんを対象化して
客観的に描いている地の文ともみられますが、〔5〕からの続きから考えれ
ば、ごんに付かずれずの「ごんによりそった地の文」だといえます。〔5〕
からの「ごんの目や気持ちによりそって音声表現する地の文」の続き、まだ
続いている地の文と考えてよいでしょう。
  (二段落)からは、視点が転換しています。これまでのごんの視点か
ら、兵十の視点へと転換しています。ふと顔を上げた兵十の目に写った事
態、兵十の気持ちをとおして描かれた事態の地の文へ転換しています。
  (二段落)から最終文(この物語の終了)までは「三人称の登場人物、
兵十の目や気持ちによりそった地の文」ですから、兵十の目や気持ちにより
そって、つまり兵十の目に写った事態、兵十が行動した事態を、兵十の気持
ちをとおして音声表現していくようにします。
  よく問題になる「兵十はかけよってきました。」は「かけよっていきま
した。」の誤りだと、わたしは考えます。このままが正しいと、難しく考
え、より深い読みをする研究者もいますが、わたしはごく単純に解釈してい
ます。


          
地の文の読み方(2)


  この物語の大部(中間の大部分)は、ごんの目や気持ちによりそって語
られています。兵十や村人たちの行動の様子を、ごんの目や気持ちをとおし
て語られています。ごんは、兵十や村人たちと直接には言葉を交わしていま
せん。最後に兵十が「ごん、おまえだったのか。」と問い、ごんは目をつ
ぶったままうなずく場面がありますが、ここ以外は全てごんの当て推量、自
分勝手な臆断でしかありません。兵十や村人たちの世界からは、ごんは完全
に疎外されています。ここから「通じ合いを求めようとするが通じ合えない
悲劇性」という、この物語の主題が出てきます。
  ごんは直接に兵十や村人たちと会話を交わしていません。コミニュケー
ションの断絶があります。ごんは兵十や村人たちに隠れて行動し、探偵みた
く尾行を続けるだけです。ごんの行動は臆見にもとづく独断的な反応行動で
す。ですから、ごんの目や気持ちをとおした地の文は、ごんのモノローグ
(内言、心内語、独り言)が多くなってきます。

  この物語には、三種類のモノローグがあります。

【1】「段落変え、独立している鍵括弧つきモノローグ」
 ◇「いったい、だれが、いわしなんかを、おれのうちへ……」
 ◇「かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんなきず……」

【2】「地の文にはさみこまれた鍵括弧つきモノローグ」
 ◇ごんは、「ふふん、村に何かあるんだな。」と思いました。
 ◇「ああ、そう式だ」とごんは思いました。「兵十のうちのだれが死んだ
   んだろう」
 ◇「ははん、死んだのは、兵十のおっかあだ」ごんはそう思いなが
   ら、……
 ◇「おれと同じひちりぼっちの兵十か」こちらの物置から……
 ◇ごんは「お念仏があるんだな」と思いながら、……
 ◇ごんは「へえ、こいつはつまらないな」と思いました。

【3】地の文にはさみこまれた鍵括弧なしのモノローグ」の例
 ◇ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いまし
   た。
 ◇かすりきずが付いています。どうしたんだろうと、ごんは思っています
   と……
 ◇ごんは、これはしまったと思いました。
 ◇きつねがうちの中へ入ったではありませんか。こないだ、うなぎをぬす
  みやがったあのごんぎつねめが、またいたずらをしにやってきたな。

  これらモノローグは、語り手「ごん」の内面世界を記述している地の文
ですから、ごんの心理、感情、思考を吐露しています。モノローグの音声表
現は、低く、小さい声で、ぶつぶつ、もそもそとした語り口(言いぶり)と
なります。一般的には、語り口(言いぶり)は、上記の【1】のモノロー
グ、【2】のモノローグ、【3】のモノローグという順番に独話としての独
立性が弱くなってきます。【3】になると、他の前後の地の文と読み口調が
殆んど変わらなくなります。しかし、モノローグが語られる状況(場面)に
よっては、【3】であったも、会話文としての独立性を強くして音声表現す
ることもできます。


          
会話文の読み方


  この物語には、対話文はごくわずかしかありません。
  兵十と加助の往路、復路の二人の対話があります。会話文だけを抜き出
して、役割音読をします。対話している雰囲気、二人でやりとりしている感
じがでるように音読させます。兵十も加助も半信半疑で不思議の世界の中に
います。二人の会話文には読点が多用されています。「全く不思議なことも
あるものだ。なぜだ、どうしてだろう?」と、いぶかしがっている気持ちの
思考のよどみ・と切れが音声(読点)の切れ目となっています。何とか答え
をつむぎ出そうとする思考の生理(言いよどみ)ですので、ぽつり、ぽつり
と間を開け、言葉をしぼり出すような音声表現になるのではないでしょう
か。
  「いわしの安売りだあい。生きのいい、いわしだあい。」
  「いわしをおくれ。」
  これは、物売りの呼び声、客の応答です。大きな声で、元気よく、二人
の距離感をつかんで、日常の生活感覚を出して、音声表現するようにしま
す。


         
地の文の読み方(3)


時間の経過を示す間をあけて読む
  「ごんはそのまま横っ飛びにとび出して、一生けん命ににげていきまし
た。ほらあなの近くのはんの木の下でふり返ってみましたが、兵十はおっか
けてはきませんでした。」の個所。
  「ふり返ってみましたが」の次で、たっぷりとした間をあけます。それ
から、おもむろに「兵十はおっかけては…」と読み出します。振り返ってみ
て、兵十は今も追っかけてきているかどうか、じっと時間をかけて検分して
いる時間の経過を音声に出すためです。

  「とちゅうの坂の上でふり返ってみますと、兵十がまだ、いどの所で麦
をといでいるのが小さく見えました。」の個所。「ふり返ってみますと」の
あと、たっぷりとした間をあけます。理由は上と同じです。

  「うら口からのぞいてみますと、兵十は昼飯を食べかけて、ちゃわんを
持ったまま……」の個所。「のぞいてみますと、」のあとで、たっぷりと間
をあけます。ごんが兵十の家の中をじっとのぞきこんでいる時間の経過の間
を音声にあらわすためです。

  「ごんは、道のかた側にかくれて、じっとしていました。話し声は、だ
んだん近くなりました。」の個所。「じっとしていました」のあと、たっぷ
りと間をあけて読みます。

  「加助が、ひょいと後ろを見ました。ごんはびくっとして、小さくなっ
て立ち止まりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさと
歩きました。吉兵衛というお百姓のうちまでくると……」の個所。
  「ひょいと後ろを見ました」のあとは、間をあけません。加助が後ろを
見たとき、瞬間的にごんは立ち止まり、それは短時間だったからです。「そ
のままさっさと歩きました」のあと、たっぷりと間をあけます。ここは吉兵
衛の家まで歩いた時間の経過があり、段落変えしてもよいような、ここで話
題が転換している個所でもあるからです。

  「いどのそばでしゃがんでいました。しばらくすると、……」の個所。
「しゃがんでいました」のあと、しゃがんでいた、しばらくする時間の経過
を示す間をあけます。ここで間をあけるよりは、「しばらくすると」のあと
のほうにたっぷりとした時間の経過を示す間をあけて読むほうがベストか
も、と思います。

行動に順序(時間の推移)を示す間をあけて読む
  「兵十は、それから、びくを持って川から上がり、びくを土手に置いと
いて、何をさがしにか、川上の方へかけていきました。兵十がいなくなる
と、ごんはぴょいと草の中から飛び出して、びくのそばへかけつけまし
た。」の個所。
  兵十が、川から上がり、……びくを置いて、川上へかけていきました。
兵十がいなくなり、……とび出し、……かけていった。という兵十やごんの
とった行動の時間の経過の順序を、それぞれの述語動詞のあとで軽く間をあ
けて、次へと読み進むようにします。だからといって、あまりにもたっぷり
間をあけると、意味内容のまとりがなくなり分散してしまいます。目的は意
味内容のまとまりとしてのメリハリある音声表現なのですから。

  「ごんはほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっと外して、あなの
外の草の葉の上にのせておきました。」の個所。……ほっとして、……かみ
くだき、……外して、……のせておいた。という時間の経過につれての行動
の順序が音声にのるように、それぞれの述語動詞のあとで間をあけ、区切り
をつけて読みます。

  「いわし売りは、いわしのかごを積んだ車を道ばたに置いて、ぴかぴか
光るいわしを両手でつかんで、弥助のうちの中へ持って入りました。」の個
所。  ……道ばたに置いて、……両手でつかんで、……うちの中へ持って
入った。という時間の経過と行動の順序がはっきりと声に出るように、それ
ぞれの述語動詞のあとで軽く間をあけて音声表現します。



       
オノマトペは粒立てて表現する


  この物語にはオノマトペが多用されています。オノマトペとは、擬声語
(ものの音や声をまねた言葉)と、擬態語(様子や気持ちを表わした言葉)
とを一つの名称にして呼んだ言葉です。品詞では副詞(情態副詞)です。擬
音語は「カタカナ」で表記し、擬態語は「ひらがな」で表記します。表記の
区別は公文書や教科書ではこうですが、一般には書き手のその場の主観的な
判断(気分、感じ方)で表記されることも多いです。

  擬態語と擬声語とを一つの名称にするわけは、「もずの声がキンキンひ
びく」、「うなぎがキュッといって、首にまきつく」、「ぶつぶつ言う」な
どのように、声(音)なのか、様子・気持ちなのかが判然と区別しにくいも
のもあるからです。現実に、光村版では「もずの声がキンキンひびく」(カ
タカナ)とあり、東書版・教出版では「もずの声がきんきんひびく」(ひら
かな)と表記してあります。

  オノマトペを使うことにより、具象性、臨場性、感覚性、音楽性、親近
性に富む表現になります。場面の様子や人物の姿が目に見えるように、気持
ちがまっすぐに伝わるようになります。オノマトペは、日本語で声喩、写音
語、象徴語、写容語などと呼ばれることもあります。

擬声語の例
 ◇どの魚も、ドボンと音をたてながら
 ◇うなぎは、キュッといって、ごんの首にまきつきました。
 ◇カーン、カーン(鐘)。チンチロリン(松虫)。ポンポンポン(木魚)

擬態語の例
 ◇ごんは、ほっとしてあなから…    ◇うなぎがぬるぬるすべる
 ◇水がどっとましていました。      ◇加助がひょいと後ろを見る
 ◇そこからじっとのぞいて…       ◇ごんはびくっとして
 ◇ちょいと、いたずらをしたく…     ◇そのままさっさと歩きまし

 ◇そう列が、ちらちら見えました。    ◇ごんはばたりとたおれまし

 ◇ぴかぴか光るいわし          ◇火なわじゅうをばたりと取
り落とす
 ◇ごんはほっとして、うなぎの頭を   ◇かみくだき、やっと外して
 ◇ぶらぶら遊びに出かけ        ◇道のかた側にかくれて、じっ
として
 ◇話し声はだんだん近くなる      ◇ごみが、ごちゃごちゃ入って
 ◇ぽんぽん投げこみました       ◇何かぐずぐずにえています
 ◇くりをどっさり拾って

  オノマトペは様子や気持ちが感覚的、具象的に表現されている言葉です
から、音声表現の仕方はあまりにもオーバーに表現すると、オノマトペだけ
がへんに浮き立ってしまう読み方になります。だからといって、うすっぺら
に沈ませて読んでしまっては、オノマトペの表現性が生かされてきません。
一般的には、軽く粒立てて読むとよい、と言えましょう。しかし、その場面
によっては目立たせて、浮き立たせて読んだほうがよい個所もけっこうあり
ます。
  例えば、「カーン、カーン」(鐘)、「ポンポンポン」(木魚)はかな
り粒立てて、それらしく読んでよいでしょう。「ごんはびくっとして立ち止
まり、(安心して)さっさと歩く」の「びくっ」や「さっさ」も、かなり浮
き立たせて読んでよいでしょう。「空はからっと晴れて、もずの声がキンキ
ンひびいて」の「からっ」や「キンキン」も明るく高くさわやかに、硬質な
声で、粒だ立たせて読んでよいでしょう。「そっと物置にかくれる」の
「そっと」も、低く、しのび声で、のばして、粒立てて
読んでよいでしょう。
  「そう列がちらちら見えます」、「兵十がぶつぶつ言っています」の
「ちらちら」や「ぶつぶつ」は、その言葉だけで十分に表現性がありますの
で、あまり大げさな読み方にすると、そこだけが浮き上がって聞こえ、文意
に合わなくなってしまいます。



          
関連資料・録音


 本ホームページの第18章第3節「表現よみ授業におけるいろいろな指導
技術例・ごんぎつね」の指導技術例1、3,4,5を聴取してみよう。いろ
いろな音声表現のしかたが、音声で、児童の話し合いや読み声をとおして録
音されています。みなさんの指導の参考にしてください。


           
参考資料(1)


  この物語の主人公「ごんぎつね」は、「子ぎつね」でしょうか。それと
も「小ぎつね」でしょうか。南吉が書いた原稿や鈴木三重吉が手を加えた作
品には「子ぎつね」と書いてあります。ところが流布本の多くは「小ぎつね」
となっています。
  ひところ、国語教科書にも教科書会社によって違っていて、両方が書い
てありました。現在はどうなっているのでしょうか。昔の教科書には「子ぎ
つね」が多かったのですが、今は「小ぎつね」になっているか、多いのでは
ないでしょうか。読者のみなさんの使用している教科書はどちらでしょうか。
どちらがよろしいか、これについては昔から研究者たちによって議論が交わ
されてきました。

  これについての参考資料として、益子広則(元中萩中小、東京)さんの
ご見解を下記に引用しておきました。平仮名書きにした場合、子供達は「こ
ぎつね」という発音から案外に「子ぎつね」を想像するのではないでしょう
か。以下引用開始。

  「子ぎつね」としてとらえていくと、親なし、兄弟なしのひとりぼっち
のごんということになり、いたずらも、ひとりぼっちの子どもぎつねだから
無理もない、さびしくって仕方がなかったのだろうといった程度の物わかり
のよい理解、つまり、いたずら好きの仕様のないやつという程度のとらえ
かたになります。
  「小ぎつね」となると、それがどう違ってくるのだろう。「小ぎつね」
であって「子ども」でないとしたら、また、鳥越信(早稲田大)のいう「若
者狐」だとしたら、つまり「ある程度分別をわきまえた狐」だとしたら、可
愛らしい悪戯ではなくなってきます。
  孤独者がその孤独に耐えかねて、つながりを求め、いらだち、自分の存
在を認めさせたい心の表れととしての悪戯、あるときはどうにもならないい
らだちであり、時に破壊的であり、時に気まぐれな悪戯であり、というよう
になるのはないかと思います。私は「小ぎつね」を「子ども」でない「小さ
い体のきつね」せめて「若い狐」といった方向で考えたいと思います。

      『国語に授業』(一光社)1977年8月号より引用



           
参考資料(2)


  永野賢(東京学芸大学名誉教授.大正11年〜  )さんは、次のよう
に書いている。この作品の主題を把握するに参考になるご見解です。以下引
用開始。

  「ごんぎつね」は、『赤い鳥』昭和七年一月号に発表されたもので、私
は尋常小学校四年生の時に読んだ鮮明な記憶がある。ごんは、現在の教科書
類では「子ギツネ」となっているがものがあるが、原典では「小ギツネ」で
あった。子どものキツネではなく、小柄な大人のキツネである。
  そのようなことも考えあわせると、ごんのいたずらは、子どもっぽい単
なるいたずらではなく、一人ぼっちの寂しさを抜け出そうとして、人間社会
に関わりを持ちたいと願う欲求の現われではないだろうか。そう考えたとき
に、この作品のモチーフが明らかになるのではないかと思う。
  同じころ、『赤い鳥』に発表された南吉の「正坊とクロ」(六年八月
号)、「張紅倫」(六年十一月号)などを読んで、私は子ども心に、坪田譲
二や今井鑑三の作品に出てくる生き生きとした子どもの世界に比べて、南吉
の作品はどこか人間の悲しさといったものが漂っているように思えてならな
かったことを覚えている。
  南吉は、四歳の時、実母を失った。間もなく父は再婚。南吉が八歳の時
継母に弟が生まれた。このため、南吉は実母の実家に養子にやられた。実家
といっても、南吉の母の継母に当たる祖母がいただけである。この人は夫や
息子に死に別れ、嫁に出て行かれて、寂しさの中に一人で生きてきた人だけ
に冷たい人だったらしく、南吉の心を暖めてくれることをしなかった。この
ような少年時代を送った南吉の実母を慕う気持ちが、作品の中ににじみ出て
いると言われる。
  「ごんぎつね」は、ごんが主人公であるにはちがいない。しかし、ごん
だけが主人公なのだろうか。私は、この作品の文章構成から、兵十も主人公
であり、ごんと兵十との間に言葉が通じなかったために心が通わずにしまっ
た悲劇が、この作品のテーマであると思う。

 (永野賢『文章論総説』(朝倉書店、1986年)211ぺより引用)



          
参考資料(3)


東京新聞(2012・1・7)の「筆洗」欄に次のような記事が出ていました。

  昔の童謡や童話によく出てくる動物というのは本来、ごくありふれた動
物である。「めだかの学校」のメダカ、「雀のお宿」のスズメもしかり。周
囲にいくらでもいたからこそ、子どもが親しむ歌になり得たわけだが、近年
は、スズメもメダカも激減が伝えられる。
  だが、これは少しうれしい話だ。新美南吉の「ごん狐」は、小学校の教
科書にも載る名作の童話だが、その舞台とされるのが、南吉の生家にも近い
愛知県阿久比町の権現山。その山で昨秋、ここ四十年以上も目撃されていな
かったキツネが確認されたのだという。
  日本福祉大学の福田秀志教授の研究室が、主人公の子ギツネ・ごんの名
の由来とされる山の頂上付近に、無人撮影できるカメラを設置、撮影に成功
した。昨今は、生きものの話といえば、「消えた」「減った」が通り相場だ
けに「いた」というだけで慰められる。




           
参考資料(4)


 新美南吉の人となりについて紹介文が東京新聞(2012・9・18夕刊)の
文化欄に掲載されていました。筆者は、梯久美子(かけはしくみこ)氏
です。

ーーーー引用開始ーーーーー

 童話「ごんぎつね」は、親のいない狐のごんと、病気の母とふたりで暮ら
す兵十の物語である。いたずら者だが気のいい狐と、親孝行の青年。しかし
行き違いから、ごんは最後に兵十に火縄銃で撃たれてしまう。小学校の教科
書で読んで涙した人も多いだろう。この名作を書いたとき、作者の新美南吉
はまだ十八歳だった。
 新美は大正二年、愛知県半田町(現在の半田市)に生まれた。旧制半田中
学を卒業し、母校の半田第二尋常小学校(現在の岩滑やなべ小学校)の代用
教員となる。このころ雑誌「赤い鳥」に投稿し、撰者の鈴木三重吉によって
採用されたのが「ごんぎつね」だった。
 その後上京して東京外国語学校(現在の東京外語大)に入学し、童謡、童
話、小説の創作に励んだが、在学中に喀血。卒業後、いくつかの職についた
ものの体調は思わしくなく、生活も苦しかった。
 昭和十三年に安城高等女学校(現在の安城高校)の教師となり、やっと執
筆に力を入れることができるようになったが、十八年三月、二十九歳の若さ
で咽頭結核のため永眠した。生前に刊行された童話集は「おじいさんのラン
プ」一冊のみで、評価されたのは死後のことである。
 亡くなる前の月、年長の友人で、童謡「たき火」で知られる巽聖歌に宛て
て書かれた手紙がある。巽の著書「新美南吉の手紙とその生涯」(英宝社)
から引く。<書留で、新しいのも古いのも、童話でないものも、とにかくい
ま手許にある未発表のものを全部送りました。いいのだけ拾って一冊できそ
うでしたら作ってください。草稿のままで失礼とは思いますが、もう浄書を
する体力はありません>
 送られてきた原稿はほとんど新作だったが、一作だけ、二十歳のころに書
かれたものがあった。それが、絵本などで今も親しまれている「手ぶくろを
買いに」である。
 新美は四歳で母と死別、父の後妻がすぐに男の子を産み、母の実家の養子
となった。近所の人から「おとなしいのい」と言われただけで涙ぐむような
少年だったという。寂しさから人間にちょっかいを出す親のない狐と、死に
ゆく母になす術もない兵十は、ともに自分の投影だったのかもしれない。そ
して「手ぶくろを買いに」の優しい母狐は、新美のあこがれてやまないもの
だったのだろう。
 新美には片思いの女性がいたが、その人は他の男性に嫁いだ。孤独を創作
の力に変え、いくつもの名作を残した新美は、死の前月、安城高等女学校の
元教え子にこんな手紙を書いている。
<たとい僕の肉体はほろびても、君たち少数の人が(いくら少数にしろ)僕
のことをながく憶えていて、美しいものを愛する心を育てて行ってくれるな
ら、僕は君たちのその心に、いつまでも生きているのです。>

ーーーー引用終了ーーーーー



           
参考資料(5)


東京新聞(2013・9・29)に、特集記事(大図解シリーズ「新美南
吉・生誕100年」)が記載されてあり、そこに新美南吉の略歴が書いてあ
りました。下記は、そこからの引用です。

ーーーーー引用開始ーーーーー

1913年(大正2年)0歳 〜 26年(大正15年)12歳
             ………孤独な幼少期・母を失った寂しさ

 実母を4歳で亡くし、継母には充分に甘えることができませんでした。7
歳で実母の実家に養子として出されますが、なじめずに生家に戻ります。幼
少期の孤独感、母へのあこがれは、やがて作品に投影されていきます。
○1913年7月30日、愛知県知多郡半田町(現・半田市)で畳屋を営む渡辺家
 の次男・正八として誕生。
○4歳で母りえが病没。
○5歳で父が再婚、異母弟が生まれる。
○6歳で半田第二尋常小学校(現・半田市立岩鍋小学校)入学。学籍簿、甲
 がずらりと並ぶ優秀な成績だった。
○7歳で継祖母・志も(実母りえの継母)と養子縁組し、新美姓となる。継
 祖母と二人きりの生活に耐えかね、半年たらずに生家に戻る。

1926年(大正15年)12歳 〜 32年(昭和7年) 18歳
               ………多感な青年期・盛んな創作意欲

 代用教員時代に児童雑誌「赤い鳥」に童話や童謡を投稿。作品を認められ、
しだいに文学への夢を膨らませていきます。
○12歳で半田中学校(現・愛知県立半田高等学校)入学。
○14歳ごろ、童謡や童話を創り始める。
○17歳で半田中学校を次席で卒業。
○岡崎師範学校は体格検査で不合格となり、母校の半田第二尋常小学校で代
 用教員になる。
○児童雑誌「赤い鳥」の投稿。
○童謡同人誌「チチノキ」の参加。
○初恋の「ヴィーナス」。初恋の相手は幼なじみで、同級生の木本咸子(ミ
 ナコ)さん。中学時代の日記に「我がヴィーナス」と書くほどでした。 
 卒業後、4年ほど交際するが、別れてしまいます。南吉は後年、女性につ
 いて「自分が弱いせいか性格の中に何処か強いところがあるとそこに魅力
 を感じるらしい」と記しています。
○当時の主な作品
 「巨男の話」「正坊とクロ」「ごんぎつね」「窓」

1932年(昭和7年)18歳 〜 36年(昭和11年)22歳
           ………東京外国語学校時代・夢を抱いて上京

 北原白秋から直接指導を受けたり、巽聖歌や与田準一らと交流を深めたり
と、東京の生活を謳歌します。しかし、しだいに病の影が忍び寄り、ついに
喀血してしまいます。
○18歳で東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部文科入学。
○20歳で初めての喀血。
○22歳で東京外国語学校を卒業。英語と国語は全学年を通じてすべて「優」
 だった。
○東京で就職し、英文カタログ作成などの仕事をする。
○当時の主な作品
 「手袋を買いに」「でんでんむしのかなしみ」「あめだま」「墓碑銘」
 
1936年(昭和11) 22歳 〜 38年(昭和13)24歳
          ………病に直面して・失意の帰郷

 結核の倒れ、半田への帰郷を余儀なくされます。文学への思いを抑え、静

養。やがて小学校の代用教員をへて、飼料会社の農場で働くようになります。
○二度目の喀血で帰郷。実家で静養する。
○就職を頼み歩く。
○23歳で河和第一尋常小学校(現・愛知県美浜町立河和小学校)の代用教員
 となる。
○地元の飼料会社に住み込みで勤務。鶏にえさをやったり、死がいを片づけ
 たり、経済的にも精神的にも苦しい時期であった。
○当時の主な作品
 「帰郷」「空気ポンプ」

1938年(昭和13)24歳 〜 43年(昭和18)29歳
             ………安城高女教員時代・命を燃やして

 病状を見かねた恩師らの好意により、女学校の正教員として迎えられます。
月給は前職の三倍以上に。作文指導に熱心に取り組んだり、生徒と小旅行を
楽しんだりと、南吉の生涯で最も充実した時期でした。
○24歳で安城高等女学校(現・愛知県立安城高等学校)の正教員になる。
○生徒との富士登山、関西旅行、同僚との伊豆大島などを楽しむ。
○4年間担任した生徒が卒業する。
○体調が悪化する中、執筆に執念を燃やし、次々と名作を書き上げる。
○29歳で安城高等女学校を退職する。
○1943年3月22日、喉頭結核のため永眠する。
○当時の主な作品
 「花を埋める」「久助君の話」「良寛物語 手毬と鉢の子」「おじいさん
 のランプ」「牛をつないだ椿の木」「うた時計」「ごんごろ鐘」「花のき
 村と盗人たち」「狐」


ーーーーー引用終了ーーーーー



          
 参考資料(6)


 つづいて東京新聞(2013・9・29)に、遠山光嗣(新美南吉記念館学芸
員)さんが、下記のようなエッセイ(「南吉からの贈り物」)を書いていま
した。「ごんぎつね」のテーマに関わることです。「ごんぎつね」のテーに
ついては、これまで多くが語れらていますが、遠山エッセイも、一つの解釈
ですが、指導の参考になります。

ーーーーー引用開始ーーーーー

 「ストーリィーには、悲哀がなくてはならない。悲哀は愛に変わる」。四
歳で母を亡くし、埋めようのない孤独を抱えてきた南吉は、中学生時代の日
記にこう書いている。
 弱冠十八歳で完成させた「ごんぎつね」は、主人公ごんの死で終わる悲劇
であり、悲哀と愛の入り交じった作品だ。明るい話が好まれる児童文学にあ
って、南吉はどうしてこんなに悲しい物語を書いたのだろうか。
 教室で「ごんぎつね」と出会う子どもたちも最初は、ごんの死をもってし
か通じ合わないという結末を受け入れられない。しかし、授業を通して読み
深めていくことで「ごんも悪くないし、兵十も悪くない。誰が悪いわけでも
ないのにこういうことは起きるのだ」と気が付いていく。後に南吉は、安城
高等女学校の教え子に「世の中には尽くしても尽くしても理解してもらえな
いことがるんだよ」と語ったという。こうしたすれ違いや不条理な現実こそ、
「ごんぎつね」のテーマといえる。
 南吉は優れた物語構成力でそれを名作に仕上げた。物語ははじめ、ごんの
目線から語られ、読者は読みすすめるにつれてごんと一体になる。そしてク
ライマックスで、これまでの流れを断ち切り、兵十の視点に転じる。これに
よってごんと兵十の間の深い断絶、どうしようもないすれ違いを思い知らさ
れる。
 不条理な現実に触れる体験は、自分の悲しみや不満に耐える強さを与えて
くれる。そして、すれ違う相手を受け入れる優しさをも教えてくれる。「ご
んぎつね」は、複雑な人間関係の中を生きる現代の子どもたちへの南吉から
の贈り物なのだ。

ーーーーー引用終了ーーーーー



           
参考資料(7)


 さらにつづいて東京新聞(2020・5・5と5・6)にあった「ごん狐」の解
説記事を下記に引用します。

〜〜〜〜引用開始〜〜〜〜〜

 中山
 現在の半田市岩滑(やなべ)西町一丁目。中山氏の居城跡と伝わる丘があ
るが、築城に適さず、岩滑中町の常福院の地がそれと推定される。

 はりきり
 待ち網の一種。長方形の網の真ん中に袋のような円筒形の網がついている。
川幅いっぱいに網を張るので「はりきり」と呼ぶ。主におちウナギえお捕る。
 きす
 岩滑では、小型の細長い川魚をキスと呼んでいた。海魚のキスと似ている
ためか。

 赤い井戸
 茶褐色の土管を用いた簡素な井戸。土管は岩滑産。うわぐすりを使わず素
焼きに近い。経済力に応じ、うわぐすりのかけた。

 表のかまど
 冠婚葬祭のとき、岩滑地方では外庭にかまどを築き、大きな鉄鍋で湯をわ
かし、煮炊き料理をした。

 いわしを売る声
 当時、大八車や竹かごに入れてイワシを行商する魚屋があった「イワシ、
イワシ=ー、イワシのだらやすー」と威勢よく売り歩いた。

 おねんぶつ
 三回忌などの年忌ををつとめた夜、有縁者や近所の人たちに自宅に集まっ
てもらい、仏壇の前でお経をあげ、念仏を唱えること。

〜〜〜〜引用終了〜〜〜〜


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